第二次世界大戦後、エレクトリックギターの時代が本格的に到来し、ギブソンは技術革新の黄金期を迎えます。P-90ピックアップ、初の3ピックアップ搭載ES-5、初のカッタウェイモデルES-175… ギブソンの快進撃は止まらない! そしてついに、レスポールモデルが誕生! フェンダーとは違う太く甘い音色が、多くのギタリストを虜に。中編では、ギブソンの黄金時代を彩る名器たちと、レスポール誕生秘話をお届けします!
前編はこちらです。
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【GIBSON】ギブソン物語:ギターの歴史を彩るブランドの誕生と進化【前編】(1894年~1944年)【レスポール】
ギブソンギターの歴史、前編。マンドリン製作から始まったギブソンの物語。アーチトップギター、そして初期のエレクトリックギター登場までを解説!
エレクトリックギターの時代、到来!
第二次世界大戦が終わって、エレクトリックギターの時代が本格的にやって来ます!
ギブソンも、どんどん新しい技術を生み出して黄金期を迎えます。
1946年には、ギタリストに新しいパワー感と汎用性を提供するP-90ピックアップを発売。
P-90って今で人気だけど、この頃からあって受け継がれている技術なんですね!すごい!
社長のテッド・マッカーティーの強力なリーダーシップのもと、ギブソンは次々と新しいギターを開発していきます。
1949年には、初の3ピックアップ搭載のES-5と、初のカッタウェイモデルES-175をリリース。
どちらも、今のギターの歴史において重要なモデルなんだって。
レス・ポール氏、ついにギブソンに!
1941年には、発明家でありミュージシャンのレス・ポールが、自分で作ったギター「ログ」をギブソンに持ち込んだそうです。
このギターは、Epiphoneのギターを元に、パイン材の「羽」を搭載したもので、当時としてはかなり革新的なデザインだったとのこと。
でも、残念ながら当時はギブソンに受け入れられなかったんだ。
CMIによる買収、そしてテッド・マッカーティーの時代へ
1944年、CMI(Chicago Musical Instruments)がギブソン社を買収し、ジョン・W・アダムスは退社しました。
1950年には、テッド・マッカーティーが社長に就任し、1966年までその職を務めます。
マッカーティーは、経営だけでなくエンジニアとしてもギターの開発に貢献しました。
テールピース一体型のスタッドブリッジやチューンOマチック/スタッドテールピースなどは、マッカーティーが開発したものです。
フェンダーの登場、そしてレスポール誕生!
1950年、フェンダー社がソリッドギターEsquireや後のBroadcaster/Telecasterを発表しました。
マッカーティーは、当初フェンダー社の動向を静観していましたが、1952年にはレス・ポールとの共同でソリッドギターの開発に着手します。
こうして誕生したのが、レスポールモデルでした。
レスポールは、フェンダーのクリーンでシャープな音色とは異なり、太く甘い音色が特徴で、瞬く間に人気を集めました。
レスポールからは、ジュニア、スタンダード、スペシャル、カスタムの4つのモデルが登場。
レスポール氏は、ギタリストとしての活躍だけでなく、経営が悪化したEpiphone社の救済をギブソン社に提言するなど、大きな功績を残しました。
ハムバッキングピックアップの開発
1955年には、セス・ラバーがハムバッキングピックアップの試作品を完成させ、特許を出願しました。
最初にハムバッキングピックアップが搭載されたのはレスポールではなく、1955年から1956年にかけてマルチハープなどの8弦ハワイアンスティールギターでした。
6弦用よりも大型でポールピースも16本あったそうです。
1957年、レスポールに搭載され、この時代のハムバッカーがP.A.F.と呼ばれる由来にもなった「PATENT APPLIED FOR(特許出願中)」のステッカーが貼られました。
モダニステックギターの登場
1958年には、モダニステックギターとしてフライングVとエクスプローラーが発表されました。
前衛的で新しいデザインのギターは、当時は受け入れられず、フライングVは98本、エクスプローラーはそれよりもさらに少ない数しか出荷されずに生産終了となりました。
まほ
同じ1958年には、世界初のセミアコースティックギターであるES-335が発表されました。
ES-335は、フルアコとソリッドギターの中間を狙い、テッド・マッカーティーらのエンジニアスタッフによって製作されました。ES-335は、瞬く間にヒット商品となりました。
1961年には、レスポールがモデルチェンジされ、レスポールソリッドギターモデルが完成します。
重量や評判の良くなかったカーブドトップを廃止し、軽いマホガニーボディにコンター加工が施されました。
レスポール氏はこの変更が気に入らなかったようで、1964年に一時的に契約が切れることになります。
元々はレスポールソリッドギター(=レスポールSG)として販売されていたので。
初期の個体には、「Les Paul」と刻印されたトラスロッドカバーがついていました。
ファイアーバードの登場
1963年には、カーデザイナーのレイ・ディートリッヒがデザインしたファイアーバードがリリースされたよ。スルーネックにミニハムバッカーを搭載し、独特でスポーティーなデザインが特徴。
ギブソンの経営危機
1960年代に入ると、ギブソンの経営は次第に悪化していきます。
その理由の一つが、日本でのコピーモデルの登場でした。
フジゲン社が「アイバニーズ」や「グレコ」などのブランドでギブソンのコピーモデルを製造・販売するようになります。1977年、ギブソン社はフジゲン社ら複数の国内メーカーを提訴しますが、すでに商標登録済だったことからギブソン社は敗訴しました。
フジゲンが製造するアイバニーズやグレコといったブランドは、ギブソンのデザインを模倣し、市場を席巻していました。
ギブソンが起こしたこの訴訟は、フジゲンが先にレスポールなどの商標登録をしていたため敗訴しましたが
その後、フジゲン社がギブソン社に商標登録を譲渡する形で決着しました。
この出来事は後に「Orville by Gibson」という、新たなブランドを生み出すきっかけとなります。
また、1969年にはノーリン社がギブソンの親会社であるCMI社を買収しました。
ノーリン社は、製造工程の機械化と大量生産のためにナッシュビルへの新工場移転を決定しました。
カラマズー工場とナッシュビル工場はしばらくの間、両工場が稼働していましたが、1984年にカラマズー工場は閉鎖されました。
この時期は、ギブソンにとって低迷期であったと言えるでしょう。
まとめ
中編では、ギブソンの黄金時代と、レスポール誕生秘話、そして経営危機について見てきたよ。レスポール、SG、ES-335… 数々の名器が生まれたこの時代は、ギブソンにとって大きな転換期でした。
後編では、ギブソンがどのようにして低迷期を脱し、再び輝きを取り戻していくのかを見て行きます!
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